FXとくりっく365の違い
大学はサイエンス、人材の宝庫 私は日頃、株式会社東京大学エッジキャピタルにおいて、東京大学の様々な技術や人材に接しながらベンチャーキャピタル・ビジネスを行っています。 読者の中には、大学の研究は現実のビジネスとはかけ離れていてused truck 、研究成果がとてもビジネスに応用されることなど無理だろう、ましてやそこでベンチャーなど・・・、と思う向きもあるでしょう。しかし、目先の利益の追求という短期的制約から解放されて研究を行ってこそ、これまでの人たちがおよそ考え付かなかったような、世の中を根本から変えてしまうようなブレークスルーをもたらす理論や技術が生まれる可能性が広がるのです。大学は、このようなサイエンスに取り組む研究者や学生の宝庫であるとともに、様々な世代・分野で活躍する卒業生をも含めた縦横無尽に広がる人脈のハブでもあります。 天才物理学者アルバート・アインシュタイン(1909年よりチューリッヒ大学教授)。彼の著名な業績として特殊相対性理論と一般相対性理論が知られていますが、この相対性理論が、今や多くの日本人にとってなくてはならなくなった製品に使われていることをご存知でしょうか。実は相対性理論は、カーナビゲションシステム(カーナビ)の基本原理であるGPS(全地球的位置決定システム)に用いられています。GPSは、原子時計を搭載している4つ以上の衛星(高度2万キロメートル以上の宇宙空間を秒速4キロメートル弱で疾走)から電波信号を受け取るのですが、それぞれの電波信号の到着時刻のずれや各衛星の位置情報から、相対性理論に基づいて自分自身の位置と正確な時刻を割り出しているのです。またGPSは、2007年4月以降に国内で発売されている第3世代携帯電話(3G)端末に標準搭載されるようになり、様々な新しいベンチャー企業を生み出す土壌となると期待されています。たとえば、私たちが投資を行ったベンチャー企業の一つに東京大学在学中に宮澤弦氏が起業した株式会社シリウステクノロジーズという会社があります。同社は、携帯電話へのGPS機能の普及を好機として、広告主が広告を流したいエリアと時刻を指定して広告配信することができるようにするサービス“AdLocal”(アドローカル)の提供を開始しました。広告主はインターネットで、携帯電話ユーザーに広告配信するエリア、広告予算、広告配信期間・時間・曜日などを申し込むことができます。広告料金は、実際に携帯電話ユーザーが広告をクリックした場合にのみ課金される仕組みとなっており、無駄の少ない来店促進や人材募集の手段としての活用が期待されているところです。アインシュタインは想像もしなかったでしょうが、彼の相対性理論があったからこそ、カーナビやGPS携帯、引いてはこのような携帯電話への位置情報連動広告サービスが可能となったわけです。
オープン・イノベーション時代のused trucks かつて大企業は中央研究所を持ち、一つの企業内で研究、開発、生産、販売と全ての機能を担うのが一般的でしたが、今や、一企業内で研究から販売までの全てを担うことは難しくなり、製品開発の最も上流にある研究開発は外部にある大学の役割としても求められるようになってきました。イノベーションが一つの企業の中に閉じていた時代が終焉し、大学を含む様々な機関がオープンにネットワークを組んでイノベーションを果たしていくという、オープン・イノベーション時代が到来した訳です。このことは、大学の技術をもとにベンチャー企業を設立して、既存の大企業と連携しながら新しい市場を狙うチャンスが増えたことを意味します。 日本の大学が産業界とともにイノベーションの一翼を担うようになったのは、何も今に始まったことではありません。古くは戦前にも、北里柴三郎博士がテルモの創設者の一人になったり、工部大学校(東京大学工学部の前身)教授であった藤岡市助が東芝の設立に関わったり、東京帝国大学教授の池田菊苗が味の素の創立に協力したり、京都帝国大学医学部教授の代田稔がヤクルトの前身となる組織を設立したり、といった産学連携の具体例が数多くあります。しかし戦後の日本では、戦前の軍需産業との結びつきへの反省もあって産学連携に消極的な風潮があり、産業界側にも、「NIH」(Not Invented Here: ここで発明されたわけではない)技術は敬遠する傾向がありました。そのような認識が変わり始め、産学連携が再び脚光を浴びるようになったのは、政府が1990年代後半以降に産学連携を促進する施策を講じるようになったからばかりでなく、産業界側においてもこのようなオープン・イノベーションの要請が切実なものとなってきたからです。 私たちの投資先のベンチャー企業の中に、東京大学で理学博士号を取得した平賀督基氏が起業した株式会社モルフォという会社があります。同社はカメラ付き携帯電話などに組み込むデジタル画像処理用のソフトウェアを開発しており、カメラ付き携帯電話にこのソフトウェアを組み込むと、手振れをしてもぼやけないシャープな写真や映像を撮ることができます。
このソフトウェアは、既にNTT ドコモ向け携帯電話メーカーなどに多数採用されているのですが、先日、この技術を導入したある国内メーカーの方とご一緒する機会がありました。私は従来、日本の大企業は自社技術にこだわり、どんなに優れたものであってもなかなかベンチャー企業の技術は自社製品に導入しようとはしない、と聞いていたので、単刀直入に「どうして今回はモルフォの技術を導入することにしたのですか」と聞いてみました。するとその方は、「タイミング、開発リソース、完成度の点で自社内の技術と比較したうえで、それでも優位であれば、ベンチャー企業の技術であっても躊躇なく採用していく」とお答えになったのでした。私はこの時、これまで自己完結的と言われてきた日本の大企業も、良いものであればベンチャーであれ外部の技術を導入することをためらわないオープン・イノベーションの時代になっているのだ、とあらためて実感したのです。
サイエンスの爆発と知の融合が進む中での大学の優位性 近年、知識の生まれるスピードは飛躍的に向上し、サイエンスは指数関数的に進歩しています。他方、各分野におけるサイエンスが爆発的に進歩する一方で、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、ロボット工学といった異分野の知識の融合も急激に進んでいます。私は、このような状況下においてはサイエンスの実用化のスピードも加速度的に増すため、サイエンスが進歩する現場に近く、かつ、幅広い分野の専門的知識の全体像を眺望することができるところに立ち位置をとることがベンチャーキャピタル・ビジネス上のアドバンテージの一つになると考えています。 このような潮流のなか東京大学では、2005年より「ナノバイオ・used truck for sale 研究拠点」という研究拠点を設け、ナノテクノロジーとバイオテクノロジーを融合した取り組みを行っています。同拠点を統括する片岡一則教授は、工学系研究科の所属ですが、ウイルスよりも小さなナノ粒子(直径20〜100ナノメートルの粒子。1ナノメートルは10億分の1メートル)の中に抗がん剤などの薬物を封入し、がんなどの標的を目掛けて薬を運ぶドラッグ・デリバリー・システム(DDS)の研究を行っています。通常の方法で抗がん剤を体内に投与すると、抗がん剤が体全体を回るために、健常な部位に対しても作用して副作用が出てしまいますし、抗がん剤をがんだけに集中的に働かせることが難しいわけですが、DDSは、患部だけに薬を届けて作用させる方法ですので、副作用を抑えるとともに薬効を高めることが期待できるのです。一昔前では、このように工学の教授が薬の開発に取り組むといったことはほとんど考えられなかったに違いありませんが、逆に、工学の知見を活かしてこそ、これまでになかったような効果的な薬を開発できる可能性がある、というように視点を変えるべき時代が到来していることを実感させられます。工学的な知見と医学的な知見が融合したこの技術は、私たちの投資先の一つであるナノキャリア株式会社というベンチャー企業によって実用化が試みられています。
ベンチャーキャピタル・ファンドと私 私がベンチャーキャピタル・ビジネスに飛び込んだ経緯についても触れておきたいと思います。 私は1996年に通商産業省(現・経済産業省)に入省しましたが、1997年から98年にかけて、当時まだ規模が小さかった日本のベンチャーキャピタル・ファンドへの資金供給を促進するため、出資者の法的責任を限定するとともに出資者に対するファンド運営状況の開示を徹底するための新しい法律(「投資事業有限責任組合契約に関する法律」、一般に「投資事業有限責任組合法」)の起草に取り組みました。同法の制定にあたっては、ファンドの会計規則の制定や、ファンドの内部収益率等のパフォーマンスを評価するためのファンド業界のベンチマーク調査の開始も行いました。この法律に基づくファンド(投資事業有限責任組合)は、堅調に設立されてきており、その設立数は、2006年12月までの累積で1321件、2006年一年間で458件に上っています。 一ファンド当たり平均サイズは10〜25億円の範囲内であるとされている(財団法人ベンチャーエンタープライズセンター(VEC)「平成18年度ベンチャーキャピタル等投資動向調査」)ことからすると、投資事業有限責任組合によるファンド総額は、累積で合計1兆3000億円以上、2006年単年度の設立分で合計4500億円以上と推測できるでしょう。同法成立前には国内ベンチャーキャピタル・ファンドへの出資は行っていなかった年金基金や基金・財団といった保守的な投資家も、2006年度の出資者内訳のそれぞれ4.5%、4.1%を占めるようになってきていること(同調査)からも、国内のベンチャーキャピタル・ファンドへの出資者層が拡大してきており、同法が一定の政策目的を達しつつあることが伺えます。 この仕事は、数多くのベンチャーキャピタル業界関係者、機関投資家、ベンチャー企業の経営者の方々の協力のもとに行われたもので、これが、当時駆け出しの通産官僚であった私にとってベンチャーキャピタルというビジネスとの初めての出会いとなりました。後に、この時にベンチャーキャピタル・ビジネスに感じた将来性というものに、自らを賭けてみたくなる時が来ました---2004年、東京大学の国立大学法人化に伴い、東京大学という名前を冠したベンチャーキャピタル会社---株式会社東京大学エッジキャピタル(UTEC)が設立されることになったときです。当時はまだファンドもなく、投資先も一切決まっていませんでした。しかし私は、やるならば創業段階からやりたいと思い経済産業省を退官することを決意し、2004年4月、同社の立ち上げに加わりました。以来、投資家からファンドを集め、大学の研究室を訪問して技術シーズを学び、学生や卒業生と交流したりしながら、東京大学の技術や人材を核とするベンチャー企業に資金を投じてきたわけです。現在までに東京大学エッジキャピタルは、83億円程のファンドを運用し、累積で24社の東京大学関連ベンチャー企業に対して投資を行うまでに至っています。
干し首(ほしくび)とは、装飾用に加工された人間の頭部のことである。 かつては首狩りを実践していた多数の部族の風習として干し首が作られていた。最も有名な例としては、現在のエクアドルとペルーにあたる地域に住んでいたヒバロー族あるいはシュアール族の干し首が挙げられる。シュアール族の間では、干し首はツァンツァの名で呼ばれていた。干し首の製作には宗教的な意義があり、ヨーロッパ人との交易用に非宗教的な干し首も作られたが、宗教的な干し首と非宗教的な干し首とは明確に区別されていた。 第二次世界大戦中には、ドイツの強制収容所において囚人の頭部を使用した干し首が作られていたことが報告されている。最も有名な報告はブーヘンヴァルト収容所で行われたもので、そこでは他の囚人を威嚇するために収容所の中央に干し首が掲げられていた。 img/作り方 干し首の制作過程は、基本として皮膚の乾燥に伴って行われる。まず、犠牲者の頭部から頭蓋骨が抜き取られる。この時、製作者は犠牲者の首の背面に切り込みを入れ、ゆっくりと全ての皮膚と肉を頭蓋骨から剥ぎ取る。その次に、制作者は犠牲者の瞼を縫い閉じ、ピンで唇を固定する。頭部の肉からは脂肪がそぎ落とされる。頭部の肉はタンニンを含む様々な薬草入りの熱湯で茹でられ、制作者によって人間の外貌を留めるように形を整えられながら、熱した石と砂で乾燥させられる。唇は縫い合わされ、頭部はビーズ、鳥の羽毛、甲虫類の鞘翅などで装飾される。 干し首の特徴は突出した下顎と歪んだ顔面、額の両側面の収縮である。これらは萎縮の過程による産物である。 頭部の収縮の過程は儀式と並行して行われた。この儀式は全共同体による祝宴であるused trucks for sale (スペイン語で「勝利の祝宴」の意味)によって頂点を迎えた。 img/目的 フロリダ州セントオーガスティンのライトナー博物館展示の干し首干し首の制作は本来は宗教的な意味を持っていた。干し首は敵の霊魂を束縛することにより、制作者への奉仕を強制するものであると信じられていたのである。 ヒバロー族は以下の三つの根本的な霊魂の存在を信じていた。 ワカニ - 死後も蒸気となって存続する、人間固有の霊 アルタム - 「幻影」あるいは「力」の意味。非業の死から人間を保護し、その生存を保障する霊 ムシアク - アルタムによって守られていた人間が殺害された時に現れる、復讐の霊 復讐の霊ムシアクがその力を振るうのを妨げるために、ヒバロー族は敵の頭部を切り落とし、干し首にすることにした。また、これは敵に対する威嚇としても役立った。 敵の干し首が何らかの理由で作れない時には、サルやナマケモノの頭部で代用品を作ることもあった。 北米のミシシッピ文化のサザン・カルトに関連する支配階層の副葬品、南米のナスカ文化、モチェ文化、ティワナク文化、シカン文化にも宗教的な権威に関連する文脈で干し首を思わせる首級を描いた壁画、レリーフ、土器や織物の文様がみられる。 ロンドンのサイエンス・ミュージアム展示の干し首 img/交易 1850年代以降から、ヒバロー族のツァンツァの風習は金を求めて南アメリカ大陸奥地に進出したヨーロッパ人の知るところとなり、観光客や好事家たちは競ってヒバロー族を相手に干し首の交易を始めた。これらの需要の結果として、ヒバロー族は交易を目的とした干し首の制作と他部族との戦争を行うようになった。1930年代には干し首一つは約25ドルで取り引きされていた。また、ヒバロー族は干し首を獲得するための戦争に銃器を使用するようになり、必要な銃と弾薬は干し首の交易により白人から入手された。ペルーおよびエクアドルの政府が干し首の交易を禁止する法律を制定するまで、これらの交易は続いた。この後も好事家のために、ヨーロッパやアフリカ、アジアなど南アメリカ以外の地域で、病院の医師を抱きこんだ引取り人のない死体による干し首の制作が行われた。 現在では、観光客向けの土産物として、干し首の模造品が作成されている。これらの模造品は本物の干し首に似せて刻まれた革や獣皮から作られている。干し首の模造品はその刺激的な特徴により、ホットロッド・カルチャーの間でも好まれており、ホットロッドの愛好者はしばしば装飾品として、バックミラーからこの模造品をぶら下げていることがある。 鼻毛の有無が、ある干し首が本物であるか模造品であるかを見分ける手掛かりの一つである。本物の干し首の最大のコレクションは、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルにあるイェ・オールド骨董店に展示されており、そこには7体の干し首が飾られている。また、この店にはテニスボール大の大きさしかない世界最小の干し首も展示されている。